かいてるひとのこと

やらなきゃいけないことをやり続ける生き方ってなんか間違っている気がする。

 とある平日の昼下がり。
 
「会社を辞める」と決心した同年代の友人の口から出た言葉が、
 
「やらなきゃいけないことなんて、やりたくない。」
 
正直に「かっこいい」と思った。
 
やりたくないことに時間を使わないように生きるために。
毎日をやりたいことだらけにするための方法を考え続けたい
 
と、
 
36歳サラリーマンという立場で僕は決心しました。

酒井コウタの生い立ち

幼児時代〜お酒の遺伝子を継いで誕生〜

生まれは兵庫県の丹波篠山の山の中で生まれました。

僕の生まれたその地域は、一言で言えば「ド田舎」

今でもイノシシやシカが普通に人里に現れるいわば農村です。

その農村では、田んぼができない冬になると「酒蔵」に入り、お酒を作る「杜氏」になるという風習がありました。

なので、僕の生まれた実家の近くでは、みんな苗字が「酒井」です。

僕のおじいちゃんは「沢の鶴」という酒蔵の杜氏の中で一番、蔵の仕事がわかっている「総杜氏」までなって現代の名工にも選ばれていました。

今はもう亡くなってしまいましたが、もっと話聞いておけば良かった〜。。。。

小学校時代〜幸せなデブ時代〜

その後、親父の仕事の関係で静岡へ。

小学校の頃はとにかく

デブでした。
 
デブであだ名もデブっぽく、「ブーニャン」と呼ばれていました。
 
多分僕はこの頃から、「かっこいい」で一番を目指すのを諦めた気がします。
 
かっこつけて一番になるのはなんとなく自分の役割ではない気がしたから。
 
そんな気持ちが芽生えたのがこの頃でした。
そういえば、生徒会に入っていたけど、生徒会長ではなく、副会長だったし。
 
そういうわけで、かっこいいの代名詞「スポーツができる」は諦めて、
 
「勉強と真面目さ」だけを取り柄にするために、ガリ勉してました。
 

中学生時代〜ダークサイドに落ちていた時代〜

実はこの頃、「いじめ」に会いました。
 
理由は「いじめられている部活の同級生をかばったから」
 
正直かなり辛かったぁ。
毎日無視され、蹴られ、親には秘密にする。
 
同級生を巻き込むと、次、また僕の代わりができるから、それもできないし、あっちも遠巻きに見ているんですよね。
 
「孤独と諦め」
 
あの時ほど、「死にたい」っておもった時はないんじゃないかなぁ。
あと、「恨む」って感覚もかなりあったな。超怖い。
 
まぁ、結局「死ぬ」ことを選ばず、超勇気を出して、いじめられっ子に昼休みに殴りかかって、そのまま部活をやめてそれは終わったんだけど。
 
あの時の「ダークサイドに肩までどっぷり」の経験が今ちょっと人間に優しくしようという気持ちにつながっていると思います。
 
いじめ、絶対ダメ!
 

高校時代〜人と違うにあこがれるゥ!時代〜

なんとなくだけど、人と違うことをしたくなったのがこの時期。

中学時代で、「孤独プレイ」には慣れていたので、なるべく群れたくないという気持ちもあって、英検3級すら落ちたのに、アメリカに1年留学しました。

ホスト先がなんと高校のレスリング部のコーチだったので、家にリングがあったんですよ。

いや本当に、欧米版アニマル浜口みたいなオヤジでした。

強制的にホストファミリーの二人のブラザーと一緒に、

半年ほどレスリング漬けの生活を送り試合もでました。

しかも16戦中14勝。

 

なんかこの頃が一番頭からっぽになって、とにかく目の前のことに打ち込むってことを理解したと思います。

英語もなんとか話せるようになってたしね。必死だった。

大学時代〜はんぱねー勘違い野郎時代〜

友達の影響で「東京はスゴイ」と刷り込まれ、東京の大学に行きました。

しかもやっぱり高校時代の「人と違うことがしたい病」はつづいていて、なんとなく「哲学科」をえらびました。

この時代は、とにかく「かっこつけてた。」

メンズノンノのモデルとかにも無謀にも応募して、落ちるを二回もやったっていうね。

バイクに乗って、羽田空港に飛行機を見に行ってる自分かっこいい。

とか普通に思ってましたからね

いまかんがえると、ケタ違いの勘違い野郎。

東京には「人を舞い上がらせる」何かがあると思います。

とにかく自分の中の「かっこつけたい無双モード」が全開だったのがこの頃です。

あと、バイクで日本一周も経験しましたね。
なんかやりたかったんですよね。「自分探し」的なことを。

これも今考えると「ウブ」ですよね。
若いから元気。元気だけどお金はない。そして旅。

この条件が揃うと、「野宿」もへっちゃらでした。

この時の経験は僕に、
「最終的に東京に絶対に住まなくてもやってけるんだろう。」
という選択肢を作ることになりました。

初めての就職〜いまだに学生気分時代〜

最初は就職とか本当に興味がなかったんです。

ただバイトが一緒の友達が、大手家具メーカーに就職したことを執拗に僕に自慢してきたんですよね。

だからそいつにたいして、

「じゃ、スーツかして。一緒の企業うけてみるわ。で、受かったら一杯おごって。

と受けた会社に受かってしまうんですよね。

ヽ(`Д´)ノラッキー!!

本当に人間、何がどうなるかわかりません。

ただ、そんなモチベーションで行った会社ですから、もうつまんないのなんのって。

とにかく、すべてのことを自分基準で考えてましたから、まぁ嫌われますよね。上司に!

不思議と店長とは、おでこをくっつけて怒鳴りあいをしてからは仲良くなりましたけど。

やっぱり毎日、

(; ^ω^) うわ、つまんね。

っておもってましたよ。

結果的には、2年弱でやめました。

ウェブに出会った専門学校
〜世界中の人に公開ってヤバくね!時代〜

その後、大学時代に勉強していた学芸員の資格の事を思い出し、物を飾るショーウィンドウを作る人になりたい!と、すぐに内装工事の専門学校に入るわけです。

その学校は大方、トンカチや、カンナやヤスリなんかでデカイ飾り用の棚を作るような勉強ばかりしていたのですが、

「ウェブサイトをつくる」

って授業があったんですよね。

そこで衝撃を受けました。

だって、ショーウィンドウはその場所にいる「一部」の人間にしかみてもらえないけど、ウェブサイトは「世界中の人」にみてもらえる可能性が出てくるんですよ

Σ(@ω@;)

本当に雷がぴっしゃーん!って落ちてくるくらいの衝撃。

次の日にはウェブ制作をやっているデザイン会社の面接を受けに行きました。

そこで、美大や芸大とかそういう「アーティスティック」な連中に混じって、なぜか受かるんですよね。内装の専門学校生の自分が。

ヽ(`Д´)ノラッキー!!

自分そういうのだけは持ってるみたいなんです。

ただ想像を絶する地獄が始まるのはそこからでした。

デザイナー見習い時代
〜餓死直前までおいつめられた時代〜

そのデザイン会社。

入ってビビったのが、「週7日出勤で終電帰り」が当たり前なんですよね。

休み無しでぶっ通しで働き続け、眠くなったら椅子の下に置いてあった寝袋に戻っていく。

それで手に入れた給料は手取りで「12万円」でした。

Σ( ̄□ ̄;)

安ッ!!ってか暮らせない。。。

オフィスが無駄にオシャレな駅にあるもんだから、飯を食うところが全部高い!

ランチ一回1,500円とか、何!?セレブっ?キモい!
一回でも飲みに行ったらもう暮らせない!

海外ワーカーしか住んでいないバストイレ共同の3畳部屋に家賃4万円で引っ越しましたが、そこもまた地獄

・部屋の前に置いておいた「トイレットロール12巻き」を何回も盗まれ、近くのパチンコ屋のトイレに駆け込む!

・シャワーは海の家スタイルで、100円玉を投入口に入れると7分だけお湯が出る仕組み。こまめに止めては出しての繰り返しでいい湯だな。ハァビバノンノできない。

・共同のスリッパを使ったら、水虫になる。

・月末になると、紙のお金は姿を消し、コンビニでパン一つ買うのも躊躇する。

etc…

帰ってもそんな感じだったから、自然と会社に泊まるということが当たり前になっていったんですね。

身についた根性とデザインの基本

ただ、そういう環境だったからこそ身についたのが、

「根性」と「デザインの基本」でしたね。

正直、僕が勤めていたデザイン会社はクオリティだけは高かった気がします。

夜の23時を過ぎたあたりから一度作ったものを壊すところから始めるような人ばかりでしたから。

ど素人状態で入った自分以外はみんなデザインに対する情熱の塊のような感じでした。

そうなると、自分の仕事のレベルも自ずとあげないといけないんですよね。

そうしないと寝れないし、寝ても起こされるという。

とにかく、毎日「つらさの限界」を感じながらやっていましたが、不思議とその時に「辞める」という選択はしなかったんですよね。

要するに、心のどこかでは面白みを感じていたんだと思います。

それが今、まだデザイナーという職を続けている理由なんでしょうね。

「先生」と呼ばれていた時代
〜「人生いろいろ」をガチンコで感じた時代〜

そんな、社畜のような暮らしを4年も続けると、なんとなくですが、やっぱり人間として普通になりたいと考えるようになるんですね。

30代が目前という現実も突きつけられていましたし、とにかく一回環境を変えようと、転職を決意。

次の会社もウェブ関係のプログラム会社でしたが、1年経たないうちに社長がトンズラ。
会社も潰れていきなり無職になってしまったのです。

どうしたもんか、と何かできる仕事はないかと探していると…

「ウェブ講師募集!実務経験者募集。月30万円〜」という求人が。。。

もともとど素人から始めた僕ですから、きっと生徒さんたちの気持ちもわかるはず!と応募したら、

受かるんですよね。

ヽ(`Д´)ノラッキー!!

これで自分も「先生」なんだな。[ドア]ω´◎ 😉 ドキドキ…と思って教室に入ったら、本当にいろんな人間模様がそこには繰り広げられていたんです。

学校は勉強したい人だけがいるところではない。

それこそ、ウェブの学校なのにパソコンのスイッチをつけないような人もいるんです。

その学校は、職業訓練校という国の税金で賄われている、「就職したい人を応援するよ」みたいな感じの学校だったんです。

だから、実は授業料がタダなんですよね。すごいよ、この制度。

しかも失業保険を受領している人は、ある程度の出席日数があれば、実はお金がもらえるっていうボーナス付き。

やる気うんぬん。ではなく、出席してればOKなんです。

もっと知りたい人は連絡ください(〃 ̄∇)」

最初の頃、僕が抱いていた「正しい先生像」は、そういう人たちにもちゃんと一人前のウェブ知識を身につけて欲しい。と考えていたわけですが、それを欲していない人もいるんですよね。

こちらの意見は「学校の制度としては正しい」んですが、正論で人が動かないと知ったのはこの頃です。

生徒さんの数だけ、目標も生き方も違う。

先生になって自分とは違う人生に一人一人真剣に向かい会うことの大切さ。その重要さに気付けました。

別に勉強ができなくても、会社に勤めてなくても元気に暮らせればそれでいい。そういう風に考えるようにもなりました。

現在、デザイン課課長〜丸メガネのデザイナー〜

職業訓練校のカリキュラムの最後には「社会見学」みたいなものがありました。

要するに、「生の現場をみにいってみよ!」っていうやつですね。

その引率を先生である自分が行ったんですね、

一時間ほど該当する会社に伺い、その帰りに自分の名刺を社長にお渡ししたんです。

後日、僕の携帯に知らない電話番号から電話が。

「はい、酒井です。」

–「酒井さんですね。以前ご訪問いただいた会社の社長の○○です。」

「はい、その節はありがとうございます。」

–「酒井さん、うちの会社に来ませんか。」

Σ( ̄□ ̄;)

「…なんで、ぼくなんでしょう。」

–「酒井さん、黒縁のメガネだったでしょ。ちょうどメガネかけてるデザイナーがほしかったんですよー。

Σ(゜∀゜ノ)ノ

というわけで、入社からすでに5年たちます。課長です。

 

読んでくれたの方々へのメッセージ

まずは、いつも稚拙な文を読んでいただきありがとうございます。

僕が伝えたいのは、とにかく失敗しても、面白みがある間はやり続ければなんとかなる。ということ。

ダイエットしかり、格闘技しかり、仕事もそんな感じです。

悩んだら、今やっていることが面白いかどうかで判断すること。

読んでくれた人の楽しく生きる手助けを少しでもできれば、本当にめちゃめちゃ嬉しいです。ヽ(*´∀`)/

もし質問や感想があればお気軽にSNSでつながってくださいね。

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